『慟哭は時を越えて』 公演後、電話やメール等で戴いた感想

◆芝居が好きなのでいろいろ観てきたが、とうとう札幌にもこんな芝居がみせられるところが出来たと思い、鳥肌が立った。
観てからは広めなきゃと思ってずっと友人を誘っていました。
サッポロビールの社長に一揆を後援するよう一緒に行った友人と直訴の手紙を書きます。
私達も頑張るので、まだアマチュアだからとあきらめないで、この芝居を大きなところで何度もやれるまで持ち芝居としてやり続けてほしい。
いつ、何度やっても北海道民や鹿児島の人を勇気付ける素晴らしい芝居だと思った。
脚本・演出・舞台構成・役者さんの狭い空間を感じさせない力量、全てプロにも負けない芝居でした。
今、こういう芝居を観たい人は実は沢山います。
その人たちに一揆と慟哭を広め続けます。

◆小さい会場で涙の処理に困るほど泣いた。
すぐに拍手がしたかったけど出来なかった。
十周年を観てから大きな所で又やってくれないかなと願ってとうとう稽古場公演を観に来た。
あれからずいぶん皆さん上達されたのにビックリ。
村橋さんと三郎さんは『この道〜』とは正反対の役で、こんな役も演じられるのか、札幌も捨てたもんじゃないと勝手に誇りに思ってしまいました。
それから語り部の方達の見事な転換に魅せられました。何役も大変でしたね。それが極自然に変化して客に納得させるのは大変なこと。札幌ビールを築いてきた何百人もの人がいると私は感じました。
特に女性の方達の表情の豊かさは男性中心の話しの中で存在感をかえって感じるものでした。
ただラストに村橋がもう一度出てきて良かったのかどうかは疑問です。確かにもう一度顔が観たいと思ってはいたのですが、家族と少女で胸いっぱいだったので。

◆(某劇団)と一揆は北海道では対極にして、どちらも演劇フリークである私には見逃せないところ。でも今回のでハッキリ言って芝居は一揆が上だと思った。個性的で魅力ある役者が多いこと、ちゃんと客のことを考えている演じ方、何より舞台の迫力。これはスタッフの努力も大きいのだろう。現代的にサラッとカッコ良く見せる(某劇団)の舞台を観てきた直後、果たして舞台としてカッコいいのは一揆ではないのか、と。
完成されてしまった上っ面と上昇中の本音の対決が私の中で起きた時、臆面も無くナミダした自分に驚いていた。マスコミ業界で働いていると、“演劇とは何か、魅力ある芝居とは何か”を忘れがちで、それはマスコミとしては本当はよくないことで、どうしたら良いのかと悩んでいた自分にとって方向性を見せてくれた。
星野さんは気になる役者さんで今まで何度も観たけど、こんなに個性的だとは思わなかった。相手役の佐藤さんとのからみは村橋の生き様を浮き彫りにさせるいいカップリングでした。
素晴らしい作品と素晴らしい演出家と素晴らしい役者さん達の出会いと融合は、東京と札幌を行き来して演劇を観ているような私にとって背筋がゾクゾクする出来事となりました。
また是非観たい。

◆分かりやすくて時代が飛ぶのが気にならず、帰りにあちこちから“久しぶりにいいものを観た”と聞こえた。
黒田と村橋のシーンに感動したけど、あそこまでやるなら黒田にちゃんとした衣裳をつけてあげるべきだと思う。そうすると、よけい情景が伝わりやすくなるのではないか。

◆今改めて話を振り返り、味わっているところです。お芝居を見た後だけでなく、数日経った今でも繰り返し味わい続けることのできる作品に出会えたことをとてもありがたく思います。
私自身、こういうことはここ数年なかったことだと思います。
「理想と現実」というテーマをとってみれば、誰しも避けて通れない問題でありましょうし、私としては常に意識せざるを得ない問題でもあります。ですから、余計に「響く」ものがあったのでしょう。
感動だけではない、「何か」がありました。橋田さんの伝えたいメッセージが団員のみなさんの思いと重なり、素晴らしいステージを作り(創り)上げたのだと感じています。
いい「出会い」は人だけではなく、ここにもありました。今という時期にこの作品に出会えたことを感謝せずにはいられません。
村橋は、まさにサムライだったのですね。
サムライは、「さぶらひ=仕える人」と私はとらえています。
(士道論派) 明治政府に仕えていた時期は短いけれど、常に「大義」に仕えていた。名実ともに(広義の)サムライだったと思います。そして彼の真っ直ぐさは、程度が大きく違いますが、かつての自分と重なります。私は融通の利かない男でした。
「現実」と割り切って考えることのできない男でした。
いつだったか、父から「おまえはどうやって生きていくつもりだ?」と聞かれたことがあります。そして、「生きたいように生きていく。ダメなら所詮それまで。野垂れ死ぬしかないでしょう」と答えました。村橋の最期は、全くの他人事とは思えません。
そして、「慟哭は時を越えて」今に甦るだけではないのでしょうか。村橋の生き様は、警官さんが知り、そしてナナちゃんに伝わった。
そのナナちゃんもいずれ、誰かに伝えることでしょう。村橋の生き様は、まさに「時を越えて」いくはずです。ナナちゃんは、自分の子ども(おそらく息子)にでも言うのかな、なんて思ったりもします。
失礼ながら、お酒を飲みながらこのメールを書いています。でも、この方が本音が出る。ただ、少し余計なことも書きすぎたようです。
今回はこの辺で。たいへん長くなり、申し訳ありません。
次回作を楽しみにしています。

◆正直言って東京に居た間、けっこう芝居が好きで観ていたので札幌には観るものがないと思っていたが、本当に自分の浅はかさを思い知らされました。
是非、再演していただきたい。こんな完成度の高いものを上演する劇団は東京に数ある劇団で、有名なインディーズにもなかなかない。
何より脚本・演出に驚きました。
今度は東京の芝居好きな友人も誘おうと思います。
東京のインディーズのハングリーさに負けない一揆だと思ったので、ただの芝居好きですが、更なる完成度を目指して意見を参考にしていただけたらありがたい。
まず三郎役のサトウさんが私は大変ファンになりましたが、彼の体の揺れは役柄には関係なく個人的なクセなのではないでしょうか。
小さい舞台では良いところも悪いところも大きく見えるものです。セリフや表現のとても味のある個性的な方だったので悪い意味で大変気になりました。
次にこれもうなるほどうまかった村橋役の星野さんですが、どうもセリフと本当の心情がうまくマッチしていない気がしました。
というのも表情が乏しく三郎や黒田とのシーンでは彼らに比べて気持ちの流れが今ひとつ分かりにくく惜しい気がしたからです。
特に、やっと北海道で醸造できると決まった時はもっと喜色満面になったほうが村橋の努力が伝わる気がしました。
ラストで村橋がもう一度出てくる演出は身震いするほど私好みでしたが、今ひとつ、魅力に欠ける気がしました。それで、つい、拍手ができなかった。いいラストだけに大変惜しい、と思ってしまったのです。
あと、語り部の使い方、演じ分けは使い古された手が斬新に見えて温故知新の演出に下を巻き、それを目線一つ乱さず演じる皆さんに何度もうなってしまいました。音響のかた、うるさかったでしょう。
最後に音響の演出も大変うまかったと思います。村橋が黒田の前を去った後、セミの鳴き声とはシャレていると思いました。まさに玄人ごのみの演出でした。
どっちにしろ、マズイものを食べた後は感想など出てこないもの。私のつたない意見も、あまりにもおいしかったので、とご理解下さい。

◆本当にいい舞台だった。
いつもチケット買っても観に行けないことが多かったので今回は観に行けて本当に良かった。
観るたびにみんなすごくなっていく。
いつもパイプイスに背を付けて観ているのが、だんだん前のめりになってしまうが、今回は、蛭田さんたちが出て来た時から最後まで息つくヒマもなく集中できた。
オレはキイチ君の役が好きだったしピッタリだと思った。
同じ日に来ていたファンクラブのYさんに帰る時、「キイチがうまかったね」と言ったら「うん。あと三郎の人もね」と言っていた。いつもとあまりにも役柄が違うからオレが説明するまでキイチだと分かっていなかったらしい。それほど変れるってすごいよね。

◆見るたび、“一番良い芝居だった〜”と感じる。何もかもよかった!また泣きました。
ナナちゃんって、昔の娘にすごく似てて。話し方や雰囲気もあんなカンジ。てっきり高校生かと思ったら、大学院生!すごいなぁと思った。
ただ、最後の久成と黒田の意見ぶつけあいのシーンは良かったけど、黒田もかっこいい衣裳着てほしかった。黒田役の人、あんなに一生懸命やってるのに、なんだかかわいそうになってきちゃった。気になったのはそのくらい。
一揆は、時代というか、私たちが普段感じてることをそのまま舞台にしてくれるから、とても好き。これからも楽しみにしてるから。


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