『慟哭は時を越えて2011』 舞台写真&ストーリー

脚本・演出/橋田志乃舞

時は明治25年。西暦では1892年。今から百年と少し前のこと。
場所は神戸市葺合村、六軒道。
秋も深い9月25日。

「爺さん! おい! どうした!」

ぼろぼろの身なりの、行き倒れの男が保護される。彼は誰なのか。

政府の高官たちからの電報や新聞広告…
行き倒れていた男の名は、村橋久成。
島津家の分家筋にあたる、由緒ある家柄の大人物であった。


村橋久成。
一体彼はどういう人で。
どんな日々を生きて。
最後の地に辿り着いたのか…

久成が6歳のとき、父親が船の事故で遭難し死亡。
幼くして、彼は家督を継ぐことになる。

家を継ぐという責務の前に、幼い久成は父を失った悲しみを押し殺す。

父の墓前から駆け出し、道に迷った久成は、ひとりの少年と出会う。

久成が出会った少年、三郎は、両親を亡くした農民の子。
父を失った久成は、三郎との友情に慰められていく。
こうして、ふたりは共に人生を歩むこととなる。


久成が23歳になった時、藩からの命令でイギリスへ留学することに。
幕府に知られれば厳しい処分の下る危険な任務であったが、
久成は強い意志でこれを受ける。

しかし、イギリスに渡った久成が見たものは、日本とはあまりに差のある社会。
その歴然とした力の差に圧倒され、心を病んだ久成は、
任期を全うすることなく、無念の帰国を遂げる。

「逃げ帰ってきたというのか!」厳しい言葉をかける、母・善信尼。
しかし、その心には、久成を厳しく育てねばならなかった、母の苦しみがあった。


やがて、結婚し、幸せな家庭を持った久成であったが、
薩摩藩からの命令で函館戦争に参戦すべく、三郎と共に旅立つ。
一生に関わる、蝦夷と呼ばれていた、大地へと……

「この人達は、私の部隊の砲撃で死んだのだ…」
戦果を上げても、心晴れない久成。
表情を曇らせる久成に、三郎は元気づけるように笑顔を向ける。

幕府軍の生き残りの男と遭遇し、刃を交える久成。
「子供のもとに帰るんだ!」
男の叫びに、思わず久成の腕がゆるむ。
故郷に残してきた、息子・亀千代の顔が脳裏をかすめた。

戦場でであった函館病院院長・高松凌雲。
この戦争を終わらせるため、久成と凌雲はそれぞれの立場で、
講和条約締結に向けて動くことを誓う。

函館戦争終結後、無事、帰宅を果たした、三郎と久成。
しかし、彼らを待っていたのは……

「よく、生きて帰ってきてくれましたね」
久成を迎えた善信尼は、すっかり力を落としていた。
「母上、一体、何があったのです?」

善信尼から聞かされたのは、亀千代の死。
息子を死なせたことを悔いて、妻もすでに家を去った後であった。
「何のために帰ってきたんだ!」
久成の悲痛な叫びが、響き渡る。


妻も息子も失い、失意の底で屋敷に閉じこもる久成。
そんな彼を励ますため、足しげく通ってきていた従兄弟の彦次。
彦次は久成に、
「イギリス留学の経験を活かし、開拓使で働かないか」
と話をもちかける。

「私に、一体何ができる?」
「何ができるかは、何かを始めてみないとわからん!」
彦次の強い勧めに、久成の顔に、ひさかたぶりに笑顔が浮かぶ。

「いってらしゃい、久成。母はいつでも、そなたのことを思っていますよ」
善信尼の顔にも、穏やかに息子を見守る母の愛があった。


開拓使で働くため、久成は三郎と共に上京。
明治維新前には自分より身分が低かった者も、今では高官。
嫌がらせの態度にも、動じない久成。

開拓使長官・黒田清隆自ら、久成を一大事業に誘う。
『日本初のビール醸造所をつくりたい!』
『ビールで異国と対等になる……』
希望を失っていた久成に、あらたな目標が見えた瞬間であった。

『ビール……はわかりませんが、久成様が大変お元気で輝いておられる。
三郎も、ビール作り、お供いたします!』
幼い頃から共に歩んできたふたりの、新たな挑戦が始まった。


日本初のビール醸造所建設に挑む久成。
しかし、初の試みの前に、前途は多難であった。
久成は、ドイツでビール作りを学んだ中川清兵衛を雇い入れる。

『東京ではビール醸造は無理です』
中川の厳しい判断に、焦る久成。
『ビールづくりには、大量の氷が必要。東京ではそれが手に入らない』
『……北海道だ、中川! あそこなら、万事、うまくいく!』
久成の脳裏に、函館戦争で見た、一面の氷の原野が蘇っていた。

東京でのビール醸造所建設は、政府の決定事項であった。
建設地の変更を申し出る久成に、黒田は渋い返事を繰り返す。
『これは国運をかけた一大事業なんです。
この事業を成功させるには、北海道でやるしかない!』
久成の熱意が、ついに、黒田を動かした。


明治9年。とうとう開拓使札幌麦酒醸造所の建設が始まる。
中川清兵衛や職人に選ばれた働き手たちと北海道にわたった村橋は、
多忙な毎日を送る。
久成、34歳。

麦畑を耕す女たち。
職人の妻や家族も、ビールづくりの一端を担う。
みな、故郷を捨てて生活のために北海道へ移住してきた者たちだった。

誰よりも真面目にはたらく娘、ミキ。
近所の少女をあやす彼女に、三郎は親しく声をかける。
『ほら、おっちゃんがおぶってやる』

『なんで、あんた、サムライの味方するの?』
かつて、戦で家族を失ったミキは、久成に仕える三郎に尋ねる。
『サムライなんて、みんな勝手だ』
『久成様は違う。
戦のときだって、ケガした敵を助けてしまわれるような、
そりゃあ、優しい方なんだよ』

耕した土地は、耕した者たちに与える。
その約束を信じて開墾を続けてきたミキたち。
しかし、突然、その約束を反故にされた、との話が…
開拓使の決定であるという。
『あんたの久成様だって、同じじゃないか!』
三郎に怒りをぶつけるミキ。

横暴に堪え兼ね、久成に直談判をする女達。
同じ農民の出として、彼らを庇う三郎。
開拓使の決定は、久成の知らないものであった。

久成は労働者たちの生活環境を整備し、彼らの信用を得る。
『ビール作りに一番大切なもの、それは人である』
久成と中川は笑顔を交わし、事業の成功を誓う。

自分たちの気持ちを理解し、久成との間をつないだ三郎に、
ミキは次第と惹かれていく。


麦やホップ、酵母はそろった。
しかし、肝心の氷が手に入らない。
北海道とはいえ、例年にない暖冬のため、豊平川に氷が張る様子はなかった。
成果をあげられないまま、一年が過ぎようとしていた。

吹雪の夜。
氷を手に入れられないことに焦る久成たち。
これは久成たちにとっても、予想外のことであった。

『このままでは、心配させまいと黙って耐えている故郷の家族に、
何と詫びればよいのだ…!』
『村橋さん、あなた1人が悩んでいるわけではない。
職人たちも、三郎さんも同じです』

苦しむ久成の姿を見かねた三郎は、ひとり、豊平川へ氷の様子を見るために向かう。
激しい、吹雪の中を……

翌朝。突然訪ねてきた職人の男。
『豊平川に氷が張った! だが……!』

呆然とする久成の前に運ばれてきたのは、変わり果てた三郎であった。
『あなたに、どうしても氷を見せたかったんでしょう』


『私なんかのために…… 三郎!』
幼い頃から、共に生きてきた者との、辛い別れの朝であった。


この後、氷を手に入れて、村橋は、初の国産ビールを完成させた。
こうしてつくられたビールは、明治天皇をはじめ、多くの人々の賞賛を受けることになる。

完成したビールを前に、苦労をねぎらう面々。
『今はなき、三郎に!』
杯をかかげ、声をつまらせる久成。

喜びにひたったのも束の間…
『札幌麦酒醸造所は、村橋さんの承諾なしに、民間に払い下げられます』
政府の下したその決定に、久成はがく然と立ち尽くす。

官有物払い下げを巡り、理想と現実の狭間に立たされた久成と黒田。
一度は共に国の為にと立ち上がった2人は、ついにその道を違え、訣別を迎える。

村橋久成、39歳。
周囲のものに惜しまれつつ、明治14年に開拓使を辞職。
その二ヶ月後、官有物払い下げ事件は、新聞によって全国に知れ渡った。
誰がこの一件を公表したかは、明らかではない。


そして、11年後……

「爺さん! おい! どうした!」

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