『海鳴りが聞こえる』 物語と女工節

昭和初め、過酷な労働を強いられていた女性たちの生き方が今に伝えるものとは―
生きること、働くことに悩むすべての人に観てほしい物語。

 明治に始まり大正から昭和にかけて、蟹(カニ)の缶詰は世界に誇る日本の輸出品であった。各工場の激烈な生産競争は、そのまま貧しい地方での女工狩りに拍車をかける。女性は安い賃金で黙って働く、雇い主にとっては最高に扱いやすい働き手であった。そして、何より、「良い」働き口を求めている娘たちなど、どこにでもいたのだ。つまり、いくらでも代わり≠ヘいた。たとえ、どんなに酷使しても…。
 病気になれば捨てられる。親の死に目にも会わせてはもらえない。およそ人として扱われることのない過酷な労働の中で誰からともなく歌が口ずさまれる。それは、苦しみの中でも明るく働こうとする多くの女工たちの青春の歌であった。家を支えるため、恋人の借金を払うため…。自らの人生の証のように口ずさまれたその歌に、決められた歌詞などない。それが「女工節」である。

 昭和19年。今日もまた、新しい女工たちを乗せた船が海峡を渡る。北の海の果てへと。その中には、わずか17歳の節子が乗っていた。明るく頭の良い彼女はあっという間に優秀な女工となり工場に重宝がられる。
 このお話は、彼女が女工節を歌うようになるまでの蟹缶詰工場でのお話である…。

『根室女工節』 (一部抜粋)

朝は早くから 起こされて
夜は遅くまで 夜業する
足がだるいやら 眠いやら
アラ思えば工場が 嫌になる

缶詰工場に 来てみれば
かけた茶碗に かけたおわん
ハシのビコタコ 良いけれど
アラ若芽に切り干し ナッパ汁

高い山から 沖みれば
白波わけて 旗たてて
またも積み込んできた カニの山
アラ可愛い女工さん また残業

女工女工と 軽蔑するな
女工の詰めたる 缶詰は
横浜検査に 合格し
アラ女工さんの手柄は 外国までも

<参照>マルダイ水産(新窓が開きます)
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