挑戦者たちのコ・コ・ロ

◆『千一夜物語』で対決する役者たちは、2月・3月に向けて静かに闘志を燃やしています。
対決するのは相手役ではなく、今までの自分。その思いを一挙掲載します。
自分のカベ、そして表現のカベを乗り越えようとするその姿を、是非、観にいらして下さいませ!

●第1話 『初恋』

鉄平 ★兵士…林 鉄平 (橋場 輝)
そろそろ喜怒哀楽のハッキリした、どストレートな役を演じてみたいな…と思っていた時に「千一夜物語」の話が上がってきた。「初恋」の「林鉄平」はまさにそのもので、願ったり叶ったりの出来事だった。この役は、僕の役者としての原点であり、僕そのものだと思っている。それは、ピッタリとはまった初めての役であり、僕自身が不器用でストレートな感情の人間だからだ。初めて主役として演じた役なので、思い入れも深い。これは、僕にしかできない役と自負している。「千一夜物語」の第一話「初恋」では、どストレートな感情を放出して、一気に客を引き込みたい。そして3話通して、「生きること」の大切さを感じてもらいたい。もちろん「いい役者」と言われれば、なお良いが…?!

舞台に上がった時の、日常の生活では得ることができない感動が、とても好きだ。何度本番を経験しても、舞台に上がる直前は怖いが、一度上がってしまえば、あとは己の感情を放出して、客に感動してもらう。朝起きて会社に行き、仕事して夜家に帰る…そんな堅気の生活だけでは、得ることは無い。

役者は、僕のライフワークであり、存在意義を実感できるものだ。

少女 ★少女 (山北エリカ)
芝居をやってない自分って、やっぱり考えられない。私にとって役者とは、自分解放する手段として重要な位置を占める。

はじめたのは、なんとなく。やってみたいな〜と思ったから。でも、一度この快感を味わったら、止めることなんて出来なくなった。役者と役者がひとつになる瞬間、役者とスタッフがひとつになる瞬間、そして役者と客席がひとつになる瞬間…すべてがとっても心地良い。これは、やったことのある人じゃないとわからないと思うけど。芝居にはすごい魔力があるのです。

さて、今回は役者対決ということで。私は幻影の少女≠演じさせていただきます。
この役は、私が一揆ではじめて出会った役。中学、高校とずっと学校演劇をやっていた私が、学校を卒業し、することがなくなって、手持ち無沙汰でどうしようもないとき、門を叩いたのがここだった。やりたいことが出来る場に巡り合えたことを幸せに思う。バレエの好きな、みよちゃんという女の子は戦時中という状況下で、一番やりたいことをやることが許されなかった。敵国の文化であるバレエを踊ることは、非国民として厳重に罰せられる。

今、生きていると実感するとき。それは好きなことをやっているときだ。それがわかった今、存分にこの想いを伝えたいと、思う。

●第2話 『男は、そして人間になった』

−ダルトン・トランボ原作『ジョニーは戦場に行った』より

丈二 ★丈二 (サトウ★キイチ)
ふと気づくと、こんなハードで、いつぶっつぶれるんだ?≠ニ思っていた劇団は創立以来12年も経っていて、ガキの頃は小さな声で国語の教科書を読んでいたシャイな自分も、いつか追い越してやる≠ニ思っていた先輩たちが消えていったというのに、12年続けていました。最初はシャレになんないぐらいこっ恥ずかしかったのに、今、舞台に立っている時の自分は、すごく自由だ〜と感じます。そう思い始めた頃、団長から電話アリ。いつも新作に関して突然なあの人は、具合悪そうな声で言いました。
「キイチ、ジョニーは戦場へ行った≠チていう映画、知ってる?」
「いえ」
「観ておいて」
「ハァ…」
そんな風にして、あの有名な忘れられない映画と自分を引き合わせたのです。見終わった後、自分も具合悪い声になって「観ました」。そして書きかけの脚本を見せられたのが全ての始まりでした。…こんなディープな話し出来るか、と思ったけれど、なぜかお客さんからは 「サトウらしい」と言われ、今回で上演3回目になりました。映画は2度と観たくないと思ったのに舞台は何度でも出来る…。ハッキリ言って、もう病気です。

この作品の丈二役は自分にとって、とても思い入れのある役柄です。この現代に日常とかけ離れた戦場≠ノ行き、異常な事態に陥った男の狂気と家族への思い。自分の家族が増えた今、新たな気持ちで演じられるかも…。思えば、この作品は、劇団にとっても自分にとっても節目節目で演じてきたように感じます。だからゆくゆくは自分の代表作にできたらなぁ〜的なカンジですかね。
極端に動きを制限された中で演じる、とても難しい役ですが、新たなサトウをお見せ出来るよう頑張ります。

亜由美 ★丈二の妻…亜由美 (橋本真美)
この作品は、すばるにとって想い入れのある役の再演です。
この作品・この役で初めていろんなことを考え、挑戦しました。

舞台の上でもその他でも、まわりに合わせることに必死で自分がどうありたいかなんて考えていなかった状態から、自分がこの作品で与えられてる役割や、自分の今までやってきたことややれなかったこと、課題、自分はどうお客さんに観られたいかを考えて、役者としてこう観てほしいと、初めて明確に目的を持って取り組んだ役。
それは、結果、それまで『まわりに合わせることで“いい子”であろうとしている自分』や『無難に生きる受身の姿勢』・『自分の状態は周りの評価まかせ』という考え方から、『私』という存在のあり方・自分が求めてる生き方・自分が持ちたい考え方、こんな人間になりたいという理想と現実に向き合うことに繋がり、自分の可能性を見つめるというつたなくとも人間としての自立を考えさせられた、すばる自身にとってターニングポイントといえる作品なのです。

今回、再度この役を演じることで、観て頂いた方に、こんなやわらかな、あまやかな、繊細な大胆な面もある役者なのかと思って頂けるような作品にしたいと思っています。
頑張ります!

●第3話 『千一夜物語』

清司 ★夫…清司 (星野晃之−劇団 新劇場)
ある意味、産まれた時から役者やってました、と思っている自分にとって、初めての経験となる老人役。
老人…。70年以上もの人生を生き抜いた男…。現在の自分が今のまま年齢を重ねたら…と考えてはみるが、それでも戦時中・戦後・経済高度成長期の日本・不況の中での倒産etc、とてもじゃないが想像できる心中ではない。現代に生きる自分には想像を絶する過酷な日々があったろうとだけは思うのだが。そして想像できない自分が過酷な日々≠ニここに書くことさえおこがましい気持ちを覚える。
それだというのにメイクなしでそのままの自分でやれと、演出からは更なる過負担がかけられている。それは形に頼るな、ということ。自分でも不思議に思うことだが、こうなってくると不安は倍増しているというのに、それ以上に挑戦したいという闘志の方を、強く感じる。

「産まれた時から…」などと書いてしまった自分は、実は半分以上本気でそう思ってきた。人は皆、誰でも日常を演じていると感じているからだ。社会を構成するためにそれぞれの立場において様々な人が、自分の役割を必死に演じながら生きていると思う。その中でいろんなドラマが一秒単位で展開されている。
役者というのは、その日常のドラマを意識的に切り取って舞台という社会で存在するかのごとく観せるものだと考える。観客は身近な家庭や社会の一区画を覗き見るためのビデオカメラのような存在。決してそれは下卑た意味で言っているのではなく、そのように芝居を観に来たということを忘れてもらえるほど自然に舞台で呼吸が出来たなら、という自分自身の目標だ。

どんな日常であれ、自分を演じ続けるのは楽なことではない。だから自分が立つ舞台を観て、人々が自分の人生と重ねてストーリーの中に入り込み、明日からまた生きて演じていく勇気を少しでも感じ取れるものとなれたなら最高じゃないかと思う。
今回は良き舞台上のパートナーを得て、まだ自分でさえ気付いてなかった自分を引き出せることにドキドキしている。自分の感性を信じて無理に老人≠演じようとはせず年月を重ねた人間を表現してみたい。家族がそれを観て「星野晃之」だとは判らないほどに。新たな自分が産まれて来る瞬間はどんなに気持ちのいいものだろうか。もしかするとこの瞬間をいつも待ち望んで役者をやっているのかもしれない。たとえどんな難解な役であろうと引き受けた以上は今の自分が持てる力全てでやりきるしかない。
そして、挑戦するなら当然、良い結果もこの手で掴みとってみせると、稽古に臨んでいる。

艶子 ★妻…艶子 (橋田志乃舞)
三つの話は全て今回のために書き換えてあり、特に最終話として用意した『千一夜物語』は、今回の企画が持ち上がった時、すでに昔から書き直すなら…と温めて来た構想を全て準備していました。それは今までの一揆とはあまりに違う大人の世界。演出的にもあらゆる意味で挑戦となります。さあ、企画は決まった。もう一度観たいとこれらの舞台を要望してくださったお客様方のために、これから鬼になるぞ、と演出として意気込んだ、その瞬間。…私は役者として舞台に立つことになったのです。

それは、あまりにも唐突で果敢な申し入れ。まさかと思いながらも確認してみれば、やはりそうだとのこと。
相手役としてのオファーでした。逆にこちらがこの人しかいない≠ニオファーしている最中の出来事です。
私としては一瞬、漠然とした恐怖を感じて返答に時間を要したのを覚えています。あれは一体、なんの恐怖感だったのか今なら分かる気がするのです。私は劇団では、今まで書き手であり演出でした。だから、舞台に立つ時は基本的に、劇団内にいる若い役者では演じさせるのが可哀想な高齢の役柄とか、人手がたりない部分を補うために出演してきたのです。主演として立った時は数えるほど。演出をしながらの役者という二束のわらじは本当に出来ることではないと思っていたからです。つまり、劇団の必要に応じて舞台に立ってきました。だけど今回は違います。相手役として選ばれて立つということは、中途ハンパな気持ちでは引き受けられません。ましてや相手の役者さんが真剣に役に挑もうとしているほど、こちらも応えねばならないと思うもの。…でも役者であろうとしてこなかった自分が果たしてどこまで出来るのやら…。
さらに、演出も、やはりやらねばならないとすれば、これはもう恐怖心を持たずにはいられません。
けれども考えてみれば、今の自分がどれだけ長年あきらめていた役者というものになりきれるのか、ここで試すのも悪くない。
役柄は今までやったことのない純粋で一途な女性像。日常でも人前では使ったことのない自分を、大勢の観客の前でどれだけ引きずり出せるのか、それは考えるだけで怖いことでもあり、同時に、あらゆる可能性も私に感じさせてくれました。だからこそ舞台に立ちます。

演出としては冷酷な鬼になり役者としては儚い慎ましやかな女性となって、九尾の狐≠ニ呼ばれた魔性変化の妖怪のように、九つの容貌を鮮やかに駆使することが出来たなら本望です。
このような機会を与えてくれた仲間と型破りで勇敢な相手役に心から感謝しています。

そしてこれが、一生に一度、巡り会えるかどうかの舞台として新たな劇団の門出に出来たなら、それは最高の瞬間。
皆様、ぜひ観にいらして下さいね。蒼白して苦戦する私を。

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